「飲み行こーぜー!」
「ノート見してくんね??」
こういう誘いやお願いを断れない人、いますよね。
「仲間はずれにされたらどうしよう…」
「まあ些細な事だし気にしすぎか…」
とか考えちゃって、結局断れずに無駄な時間を過ごしたり人にうまく使われたりするわけです。
こんな風に断りきれずに流されていると、いつの間にかお金もなくなって自分という軸も消えていきます。
飲み会の誘いを断れない友人
僕の友人で、ひときわ流されやすい人が1人います。
友人「あ、先輩から飲み会の誘いきた」
俺「え、今からいくのかよw」
友人「えーどうしよう、でも酒もうキツイし…」
俺「行きたくないなら断れよ(笑)」
友人「うーん…」
その友人は、日本酒を飲まされまくって潰された経験から、お酒に対して嫌悪感があるにもかかわらず誘いに乗ろうかどうか迷っているわけです。
行きたいなら行けばいいし、行きたくないなら行かなきゃいいのに。
彼は自分の意志が弱いのです。
別に行かなくて嫌われるわけでもないのに。
というか、そんなことで嫌われるようなペラッペラな関係なんて続ける意味あるのか?なんて僕は思いますが。
自分の望むままに動く
大学生や社会人にとって「飲み会」っていうのは、なぜかそれこそが「至上の楽しみ」かの如く思われています。
彼らにとってはそれが「大人ってやつ」であり、「大人の楽しみ方」なわけです。
しかし、それがすべての人にとって最も良い楽しみ方なのか?
違いますよね。
僕の場合は、2500円とか払って飲み会に行くよりも映画やアニメで一息ついたり美味しい食事を食べたほうが好きなので、滅多に飲み会は行きません。
酒も弱くて全然飲めないので即断ります。というか逆に飯に誘い込みます。
かといって、別に人間関係が悪化して自分の居場所がなくなったりするわけではないです。というかそれで悪くなる関係なら、断ち切ってもなんら後悔ありません。
結局、断れなくて流されちゃう人っていうのはそれ以外に自分のストレスを解消する方法や楽しみ方を知らないだけなんですよ。
自分にとって飲み会以上の楽しみがあるのにもかかわらず、それ以上に生産性が低いことに首は突っ込みませんよね?
自分の思うがままの方向に行くことが”自分を持つ”ということに一歩近づきます。
流されない人は魅力がある
なんてったって、自分の意志を持った流されない人って素敵なんですよね。
自分にとって有意義な生活を送ることができて、なおかつ周りからも魅力的に映る。
自分の道を突き進む人とかってかっこいいじゃないですか。それと同じ原理ですね。
まとめ
自分の時間とお金ってうのは自分のために有意義に使いたいものです。
実は、この辺の詳しいことはちきりんさん「自分の時間を取り戻そう」という本に書いてあります。
また改めて紹介記事を書こうと思っていますが、これは僕の超絶おすすめの本なので読んで損はなし。一押しです。